幼馴染のタオル
(Nikon D80)
幼馴染のひろから、赤ちゃんのお祝い返しがきた。
タオルのセットだけど、今治の紋織タオルというすごくりっぱなやつ。
赤ちゃんの写真と名前、誕生日と体重が印刷されているポストカードもついている。
こういうのはひろは思いつかないだろうから、しっかりものの奥さんが選んだに違いない。と勝手に想像。
小さい時の、ドテドテ走ったりお姉ちゃんの子分だったイメージが強いので、「大丈夫かしら」といつまでも思ってしまうけれど、いい人に会ってかわいい子供も生まれ、よかったね~としみじみ。この気分はひろのお姉ちゃんのKと同じような気がする。
それで思いだした、ひろとK兄弟のO家との小さい頃のこと。
小学校の2年生の時、隣に引っ越してきたO家。
なんと、奇跡的にO家の兄弟と私は生まれた病院も一緒で、東京下町家族ということが分かって親近感を感じたのか両親も子供たちも急速に仲良くなった。
動物園とか、温泉とか、初詣とか、いろいろ一緒に行ったりもしました。
痩せ形の私とKに対し、太っていたひろ。
ひろは私より2歳年下なのに、私が34kgの時43kgだったのを今でも覚えてます(笑)。
果物の缶詰のシロップをしっかりと飲むのと(!)、食パンをミロにたっぷりつけたのを嬉しそうに食べている姿を見た時に太る理由が分かった気がした・・・。
うちの母が入院した時期は、母がお願いしたのかもしれないけれど私は学校から帰ってくると毎日のようにずっとO家に行って、ごはんも食べさせてもらい、お風呂も入り、パジャマになって、寝るばっかりになるまで入り浸ってお世話になったのだった。O家で年越しをした年もあったなぁ~。
そんなO家の兄弟とはもちろん沢山の楽しい遊びもしました。
一番印象的な遊びは、屋根に上ること。
うちのベランダの手すりからO家のベランダの手すりに乗り移れたので、まずそこに移り、そこから今度はうちの屋根に移る。もちろん2階。今考えたら恐ろしすぎるし親がみたら泡を吹いて倒れそうだけど、当時はしょっちゅうやっていました。七夕の時は3人で屋根の上で「たなばたさま」(♪ささのは サラサラ~♪)の歌を歌ったりしていたのだからのんきなものです。
日の出を写真に撮ったこともあった。屋根の上は楽しかったなぁ。(その後、高校生の時まで登っていましたが(なんと・・・!)、だんだんと体が重くなり体力の限界を感じて引退(笑)。)O家の兄弟も、今でも覚えているかなぁ。覚えているだろうなぁ(笑)。
ひろは10代後半からナゾのセンスのおしゃれに目覚め、大丈夫かしら・・・とみんなでこっそり思っていましたが大人になって更生したようで安心。一時期仕事をせず、それでものんきにマイペースなひろをお姉ちゃんのKが「あいつはねぇ~・・・変わりもんだよ。」とあきれ顔で言っていましたが、無事仕事が決まって結婚もし、家も建てて子供まで生まれて安心。
お姉ちゃんの子分だったひろは、お姉ちゃんがダミ声で「ひろ~」と一声かけると2階からドテドテと降りてきて命令を聞いていたけれど、今ではしっかりと一家の主になったみたいだからそれも安心。・・・と、幼馴染のことを思う時、私は親戚のおばさんのような気持ちになるのでした。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
おはようございます
幼馴染・・・いい響きですね
お互いに心にかけて今もそれが続いてるのが素敵
幼馴染も親戚のおじさんの気持ちでいるのかも
投稿: エフ | 2011年5月17日 (火) 09時05分
エフさん、こんばんは!
コメントありがとうございます。
幼馴染、なかなか会うことはありませんが
何かの機会に近況を聞くと懐かしく、安心します。
私は生まれた地方にずっと住んでいるので帰郷するという機会がないのですが
田舎に帰った時の気持ちって、こんな気持ちなのかな?と思います。
良いですね、幼馴染。
投稿: anise | 2011年5月17日 (火) 23時51分