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2010年11月13日 (土)

百の階梯、千の来歴

Dsc_7192

(Nikon D80)

国立近代美術館に、なんとなく前からHPで気になっていた鈴木清写真展「百の階梯、千の来歴」を観に行ってきました。
面白かったです。
写真に有機物と無機物があるとしたら有機物の写真。
熱い血液が流れているな、という、生きている、って写真だな。と思います。
鈴木さんは自分の出自に炭鉱がかかわっているのだそう。
途中までしか読んでいないけれど、炭鉱の町出身の青年を描いた五木寛之さんの小説「青春の門」の濃い空気を思い出します。
あの青年の中にも、しっかりと炭鉱の街が根づいていました。
写真には育ってきた環境や過程、いろいろな要素が複雑に絡んで出てくるのでしょう。

「鈴木清の作品を顧みるうえで「書物」は重要なキーワードです。読書家であり、愛読書から得たインスピレーションをしばしば自らの写真の指針としたということだけでなく、彼自身の写真集が、いずれも「書物」と呼ぶにふさわしいものだったからです。」
という文章をHPで読んで、嬉しくなりました。
私も本は好きで、普段いろいろなものを見たり考えたりする時に無意識に過去に読んだ本のいろいろなものが出てきたりそこからインスピレーションが湧く事があるのですが、写真が書物でいいのだろうか?と時々思うことがありました。それもある意味「あり」なんだなと思うと心強いです。

そんなにしょっちゅうは写真展に行けませんが、最近、時々は写真展に行っていないと気持ちが落ち着かなくなってきました。
昔から本当に本が好きで本を読んでいないとなんとなく落ち着かないのですが、写真もそんな風に確実に自分とは切り離せないものになってきているのだなぁ・・・と思います。
沢山行きすぎたらいろいろな情報が入りすぎて混乱してしまいそうなので、このくらいのペースで時々行くのがいいな!と思いました。

(写真展は12月10日まで。)

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