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2009年10月20日 (火)

étranger

Dsc_4669_6

(Nikon D80)

全国の、頑張って働いているみなさん、ごめんなさい。
今日は用事があって会社お休みでした。
そして、その用事の後、ついでに通り道の恵比寿に寄って、またまた写真美術館に行ってきてしまいました。

見たかったのは、コレクション展「旅」の第3部、「異郷へ 日本の写真家たちが見つめた異国世界」。
この「旅」シリーズ好きです。
第1部を見逃してしまったことを後悔。

「日常とは異なる場所へ身を置くという体験は、取り巻かれた日常空間では意識するとこのできない新たな感覚を喚起させ、写真家たちに新たな一面を知る機会をもたらします。」(美術館HPより)。
人それぞれいろいろな旅があっていろいろ感じることがある。
だから写真にしてもとても印象的なものが多いのかもしれません。

展示は「絵画的風景の方へ」、「異邦人としての眼差し」、「自己探求への途」、「歴史の証言者としての旅」の4章からなっています。
旅するように写真をたくさん見て歩き楽しかったです。
いろいろ勉強にもなりました。
木村伊兵衛は夕暮れのコンコルド広場の写真がよかったです。パリのおばあさんの写真もよかった。おばあさんは着飾っていても孤独な感じがちょっとしたのですが、本当はどうなのでしょうか。年齢を重ねた方々の写真は、いろいろな人生がにじみ出ていてインパクトがあります。渡辺義雄さんのイタリアのシリーズの中の、階段を下りてくる二人の写真、深瀬昌久さんの雪のNYもいいなと思いました。波河萬里さんのバビロンの遺跡の写真などは、「遺跡って美しい・・・」とあらためて思いましたし、チラシになっている、アーチ型の扉の方に向かっている鳥の影の写真の、奈良原一高さんの「静止した時間」シリーズも良かったです。心に残る写真でした。汽車が走っていく写真も印象的でした。森山大道の写真では、橋の写っているNYの写真がとてもかっこよかったです。
写真展で沢山写真を見ると、シンプルに普通に楽しいですが、すぐにはどう良かったとか文章に出来なくてもじわじわと自分の中で熟成されていつか自分の力になってくれるような気がしてそういう意味でもとても楽しいです。

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コメント

「用事かそれともついでか、どっちも大事だ」
シェークスピアも言ってます
新聞を読んでいたら落語家・立川談志の写真集を出している橘蓮二さんが「デジタルカメラは写りすぎる」のでフィルムを使うと
言っていました
「確かにそうかもしれない」と思うのですがイナカーナに住んでいると需要と供給のバランスで楽なデジタルになってしまいます

話は変わるのですが最近の映画を見ていると昔の名画のように記憶され残るものはあるのかな?と思います
デジタルと情報が多様化、氾濫し、人が記憶するに価する価値が危機に見舞われているようです

投稿: グールドの帽子 | 2009年10月20日 (火) 23時34分

さすがシェイクスピア、いいこと言いますね~!
そうそう。そうなのです。
おかげでとっても充実した一日となりました。

橘蓮二さんのおっしゃっていること、わかるような気がします。
デジタルは写り過ぎてしまうがゆえに、写せないものもあるような気がします。
この写美の展示の中には古い古い写真もあり、
輪郭がぼんやりとしているもの、モノクロが飛んでしまっているものなどもあるのですが、
それでも逆に当時の空気のようなものや気配、
街の雰囲気などをしっかりと伝えてくれているのでした。
クリアすぎる写真には出来ないことかもしれません。
写りすぎると逆に壊してしまう気がします。
多分談志を撮るときも、より「談志」が写るのは、
写り過ぎないフィルムの方なのでしょうね。
私の場合、予算の関係でデジタルなのですが、やっぱりフィルムはいいなぁと
写真展に行くたびに思います。

>昔の映画のように記憶され残る映画
今の時代は便利に安易になり過ぎて
想像(創造も)する余地が減ったりしているせいなのか
CGなどですごい映像は出来ても、心に残るものを持ち合わせた映画というものは
出来にくいのかもしれませんね。
こつこつとまじめで上質な物がきちんと評価される土壌もないといけないのかもしれませんね。

投稿: anise | 2009年10月21日 (水) 21時16分

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