(Nikon D80)
写真展を見にギャラリーに行って、芳名帳に名前や住所を書いてくると、
時々そのギャラリーからDMが届いたりします。
沢山沢山写真を撮って、沢山沢山プリントして、セレクトする。
サイズを決めて、額を決めて、額装して、搬入して、セットする。
展示のタイトルを決めて、時にはキャプションを書く。
ひとつひとつが大変な作業。
DMのデザインを決め、業者に依頼して、出来あがってきたらそれをばらまく。
そうして届いた一枚のDMの中には、写真家の沢山のエネルギーや情熱や、
それを手伝う人たちの仕事がぎゅっと詰まっています。
そう思うと、ただの紙がただの紙ではなくなってきます。
コメント
aniseさん こんばんは
そう、一枚のチラシやDMの向こうには
大きな思いや膨大な作業が積み重なっていますね
昔、ペルーを訪ねた時、高原の線路沿いの子どもたちにとって
列車から捨てられるゴミひとつでさえ彼らにとっては宝ものとなる
と現地の添乗員が話していたことを思い出します
私たち現代人はモノが溢れた環境に慣らされて
生活しています
大切なものに鈍くなっています
投稿: グールドの帽子 | 2009年2月28日 (土) 23時36分
ものが溢れた環境に恵まれ過ぎていると
それが当たり前になってしまって
グールドの帽子さんのおっしゃるように
大切なものに鈍くなってしまいますね。
もっともっとそれ以上を望むあまりに、今恵まれていても
いつも何か満たされないような気持になっていたり。
ペルーの子どもたちは豊かな世界で生きる先進国の人よりも
沢山のことに気がついていて、もしかしたら
気持ちの面では豊かな暮らしをしているのかもしれませんね。
景気の悪いニュースや、いろいろな嫌なニュースを観ていると
不安になったり怖くなったりしますが
実はそんな今だって人の温かい気持ちや真面目な仕事や気遣いなどが
沢山存在しているのだとDMを見ていて気がついたりします。
ただの紙ですがその向こうにあるたくさんのものがみえると
無機質な紙というものだけではない気がしてきます。
投稿: anise | 2009年3月 1日 (日) 20時05分